主体性

H & A :: blog「問題にしたい人がいるから問題になる」

かなり以前に読んだ、鴻上尚史のエッセイに「記者は『これ問題になりますよ』と言うけど、『これ問題にしますよ』というべきだろう」とあった。
地下鉄に乗っていると、「ドアが閉まります」とアナウンスする時と、「ドアを閉めます」という時があるけど、人為的に閉めているわけだから後者が正しい? このへんになると、日本語の慣習的用法と日本人の精神構造が不可分に相互作用しちゃってるんでどちらとも言えない。

たとえば原爆投下や東京大空襲といった人為による被害も、まるで「天災」が起きたかのような語調で書かれていた記事があって、日本語ってなんかすごいなと思ったことがある。たしかに日本語の慣例的な用法としては「戦争で死んだ」とは言っても「戦争で殺された」とは言わない。
小学校の頃、理科の実験でプレパラートを割ってしまった。先生に「プレパラートが割れてしまいました」と報告すると「自然に割れたのか? そうじゃないだろ。『割ってしまいました』と言い直しなさい」と言われました。確かに。言葉ひとつとは言え、これらは精神構造にも深く絡んでくるのだと思う。
(初出:2006.5.30)