そくどくのそくど

私は諸事、動作が緩慢なので当然読書も遅いです。それでも取扱説明書みたいな技術書であればナナメに読んで概要を把握することはなんとかできます。
福田和也氏も相当な量を読んでいますが、職業柄あれくらい読まないと仕事にならないのでしょう。


しかし学術論文や技術書ならともかく、文芸系を速読するのって良いことかどうか分からないんですよね。私がちょっとした文章を書くときにも配慮するのですが、その「文章が読まれる速度」を調整しようとします。
ここは感情的にタメを作りたいとか、ものごとが停滞している感じを出したいとか、心の移ろいやためらいを表現したいとか、この場面で長い時間が経過したことを示すために冗長にしたり、逆に疾走感を出すために文章を短くしたり。
もちろん読者の読み進むスピードなんて調整しようはありません。それでも書く側としては、文中で経過する時間と読者の実時間のあいだを繋げて、少しでも効果を与えようとするものだと思うのです。とくにそれが叙情的な文芸であれば。


それを評論すべき立場の人が速読してしまったら、文章技術によって文中に作りだした緩急がだいなしになってしまいそうです。
それが許されるのであれば、CDを2倍速で再生すれば、音楽評論家は倍の曲が聴けるようになるし、映画評論家もDVDを早送りして観ればいい。
とは言え、文章というメディアは、そもそも鑑賞者側が速度を支配できるので、「時間」という枠で収録されている音楽や映画とは、比較にはならないかもしれません。
(初出:2007.3.24.Sat)


[参照]NETAFULL:ダニーの読書スピードは本当に速かった