けいらん
「けいらん」ていうのは鶏卵のことなんだけど、大阪の店ではひらがなでこう書いているのをたびたび目にする。
関東だと鶏卵とはいちいち言わずに「タマゴ」とだけ言うと思うけど。
「けいらん」でグーグル検索すると、いろいろ別の食べ物が出てくるんですが…
最後に笑わせる者が最もよく笑う
どんなときでも諧謔を忘れないことが大切だと思っていますが、ちょっと余裕がないとすぐ見失ってしまいます。
むしろ逆境にあったり、困難に直面しているときにこそ、堅持しなければならないもの。
「最後に笑う者が最もよく笑う」という格言がありますが、笑うより大事なのは「笑わせること」だと思います。これは他者に対してもですが、自らをも笑わせることです。
石田三成は、私の好きな日本史上の人物のひとりです。好きと言うかシンパシーを感じると言った方がいいかも知れません。
日本人は判官贔屓な割に、三成は不人気ですね。
家康と敵対した三成は、その後の徳川幕府統治下の約三〇〇年間は「悪役」扱いだったわけですから、好評が後世に伝わりにくかったはずです。それでも大谷刑部の茶を飲み干す逸話など、彼が好漢だったことを示す数多くのエピソードがあります。
さて、石田三成の逸話で有名なものに、柿の話があります。死刑になる直前に、柿を食すように勧められた三成は、「柿は痰の毒になるから」とそれを断わります。
周囲はもう死刑になるのに健康に気を使ってどうする? と嘲笑します。
(似たパターンの笑い話が海外でも死刑囚の話などにあるので、史実と言うより類型なのかもしれません)
この故事の意味は一般的に次のように言われています。
三成はまだ生き延びることをあきらめておらず、志を持つ者の不屈の精神はかくあるべきだと。
私はちょっと違うかなと思うのです。きっとこれは三成の諧謔だったのです。
三成は「笑われた」んじゃなく「笑わせて」いたのです。しかも周囲は自分が「笑わされた」ことにも気づかないという、この高次元のテクニック!
彼は心中「よしキマッタ!」と大笑いしていたでしょう。
世界を笑ってやるのもいいですが、私は世界を笑わせる方を目指したいです。
(初出:2005/11/24)
晩節
「晩節を汚したくないので」って自分で言う分にはいいと思う。
でも人から「晩節を汚すな」とか諭されるのはどうだろう。
晩節くらい当人の好きにさせてやろうよ。
若くて未熟ならいくらでも干渉していいと思うけど、
それが晩年なのなら、その人の思うままに使わせてあげればいいんじゃないかな。
ひじきのおもいで
私はひじきが好きで、ひじきと白米の組み合せなら他に何も要らなかったりします。もっともそれは、ひじきと白米の黒白モノトーンが、洗練された落ち着きのある美を感じさせる、という視覚面も大きいです。その点では、梅干しと白米、海苔・昆布と白米、などの組み合せも同じことが言えます。
先年亡くなった私の祖母はひじきが大嫌いだったようです。それも食べるのが嫌いというより、そもそも食卓に上ること自体にひどく嫌悪していました。
戦時中にはひじきをしばしば食べたそうです。でも祖母によれば、ひじきは食べ物がなくて貧しい時分に、止むを得ざるして食すものであって、この豊かな時代にもなってまで、敢えて食卓にのせるべきではない卑しい食品とのこと。少なくとも祖母の世界観ではそうなっていたのでしょう。*1
たしかに食べ物に限らず、自分が苦労していたころ、貧しかったころ、仕方なく使っていた物が、別の価値観で受け容れられていると複雑な気持ちがしますね。幸か不幸か、私のころには「ひじき」は健康食品という良いイメージがあったのに対し、祖母はそこに貧しい時代を投影していました。
かつて日本で脚気(かっけ)の横行が問題になっていたころのこと。脚気の原因は、精製した白米を主食にしているためで、麦食の導入によって改善される、と言われていました。しかし軍医だった森鴎外はこれを拒絶しました。
一説によると、森鴎外にとって麦食は、貧しい身分の人たちが食べるもの、という強い固定観念があったそうです。自分が健康管理している兵隊たちに、そんな卑しい食を与えるわけにはいかない、と考えたのかもしれません。
でも、貧しいときの食生活だからこそ、味や量ではなく栄養価で効率的に選ばれている、とも考えられるわけです。
職に貴賎なし、と言いますが、食にも貴賎はないってことでしょうか。
(初出:2007/4/21.Sat)
*1:もっとも祖母の時代のひじきは今のように甘い味付けなどしていない、ずっと質素なものだったのだろう