ひじきのおもいで

私はひじきが好きで、ひじきと白米の組み合せなら他に何も要らなかったりします。もっともそれは、ひじきと白米の黒白モノトーンが、洗練された落ち着きのある美を感じさせる、という視覚面も大きいです。その点では、梅干しと白米、海苔・昆布と白米、などの組み合せも同じことが言えます。


先年亡くなった私の祖母はひじきが大嫌いだったようです。それも食べるのが嫌いというより、そもそも食卓に上ること自体にひどく嫌悪していました。
戦時中にはひじきをしばしば食べたそうです。でも祖母によれば、ひじきは食べ物がなくて貧しい時分に、止むを得ざるして食すものであって、この豊かな時代にもなってまで、敢えて食卓にのせるべきではない卑しい食品とのこと。少なくとも祖母の世界観ではそうなっていたのでしょう。*1
たしかに食べ物に限らず、自分が苦労していたころ、貧しかったころ、仕方なく使っていた物が、別の価値観で受け容れられていると複雑な気持ちがしますね。幸か不幸か、私のころには「ひじき」は健康食品という良いイメージがあったのに対し、祖母はそこに貧しい時代を投影していました。


かつて日本で脚気(かっけ)の横行が問題になっていたころのこと。脚気の原因は、精製した白米を主食にしているためで、麦食の導入によって改善される、と言われていました。しかし軍医だった森鴎外はこれを拒絶しました。
一説によると、森鴎外にとって麦食は、貧しい身分の人たちが食べるもの、という強い固定観念があったそうです。自分が健康管理している兵隊たちに、そんな卑しい食を与えるわけにはいかない、と考えたのかもしれません。
でも、貧しいときの食生活だからこそ、味や量ではなく栄養価で効率的に選ばれている、とも考えられるわけです。
職に貴賎なし、と言いますが、食にも貴賎はないってことでしょうか。
(初出:2007/4/21.Sat)

*1:もっとも祖母の時代のひじきは今のように甘い味付けなどしていない、ずっと質素なものだったのだろう