最後に笑わせる者が最もよく笑う

どんなときでも諧謔を忘れないことが大切だと思っていますが、ちょっと余裕がないとすぐ見失ってしまいます。
むしろ逆境にあったり、困難に直面しているときにこそ、堅持しなければならないもの。

「最後に笑う者が最もよく笑う」という格言がありますが、笑うより大事なのは「笑わせること」だと思います。これは他者に対してもですが、自らをも笑わせることです。


石田三成は、私の好きな日本史上の人物のひとりです。好きと言うかシンパシーを感じると言った方がいいかも知れません。
日本人は判官贔屓な割に、三成は不人気ですね。
家康と敵対した三成は、その後の徳川幕府統治下の約三〇〇年間は「悪役」扱いだったわけですから、好評が後世に伝わりにくかったはずです。それでも大谷刑部の茶を飲み干す逸話など、彼が好漢だったことを示す数多くのエピソードがあります。


さて、石田三成の逸話で有名なものに、柿の話があります。死刑になる直前に、柿を食すように勧められた三成は、「柿は痰の毒になるから」とそれを断わります。
周囲はもう死刑になるのに健康に気を使ってどうする? と嘲笑します。
(似たパターンの笑い話が海外でも死刑囚の話などにあるので、史実と言うより類型なのかもしれません)


この故事の意味は一般的に次のように言われています。
三成はまだ生き延びることをあきらめておらず、志を持つ者の不屈の精神はかくあるべきだと。

私はちょっと違うかなと思うのです。きっとこれは三成の諧謔だったのです。
三成は「笑われた」んじゃなく「笑わせて」いたのです。しかも周囲は自分が「笑わされた」ことにも気づかないという、この高次元のテクニック!
彼は心中「よしキマッタ!」と大笑いしていたでしょう。


世界を笑ってやるのもいいですが、私は世界を笑わせる方を目指したいです。
(初出:2005/11/24)