卒業すべき対象としてのB'z

好きなアーティストが「サザンオールスターズB’Z東京事変」というのは、音楽好きの人から見たら、東京事変はともかく、サザンとB'zは軽蔑の視線で見られそう!

ARTIFACT@ハテナ系『ROCK BAND』の開発会社のCEOはサザン、B'z、東京事変好き


私は音楽ファンて言うほど特定のアーティストを聴いたりすることはないんですが、「B'z好きは恥ずかしい」(ARTIFACT@ハテナ系:B'zファン問題)という言い方と、そう遠くはない感じを持っています。
それは音楽性そのものではなく(もちろん密接な関係はありますけど)、ただその音楽と出会ったときの年齢によるものです。

B'zのデビューは1988年、私が小学生のときで、自分のお金でCDが買えるようになった高校生の時分に、ヒットチャートの筆頭にいる存在でした。私が彼らの発表曲を毎回追っていたのは、大学の半ばころまでだったかと記憶しています。
つまりちょうど十代のころを過ごした音楽なのですが、音楽に限らず、その年ごろをともにしたものは、「いずれ卒業すべき」対象である、という意識がどこかしらにあります。自分が未成熟のときに好きになったものですから、その当時は"これより他に完璧なものはない"と心酔していても、やがては醒めてくるものです。


件の記事に出てくる、サザンオールスターズだと、私が高校生のころにはすでに揺るぎない大御所でしたから、そこまでの青さを感じさせません。もちろんそれは年代によって相対的なものなので、私より上の世代にとってのサザンは違ってくるでしょうし、私より下の世代にとってのB'zも同じではないかと思います。


TMN(TMネットワーク)の場合は、私が「卒業」する前に解散してしまっているので、どちらかと言えば懐かしい音楽です。ユニコーンなどもそうです。
B'zや(少し年はずれますが)BonJoviなんかは、私が十代のころに出会って、かつ彼らもデビューまもなく、今でもあまりスタイルを変えずに現役活動を続けている、というところに妙な酸っぱさを感じさせる原因があるんじゃないかと。

また、前掲記事に出てくる東京事変なんかであれば、(個人差はあるでしょうけど)平均的な中学生の大多数が聴く音楽ではないと言うか、もう少し対象年齢が上になるかと思います。その点で「卒業」対象とはなりにくいかもしれません。